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kasaは、東京とモスクワを拠点に活動する建築家ユニット。その初の個展では、国籍も性別も異なるふたりの「ものさし」と「まなざし」との間に生まれる往復運動、kasaのこれまでの歩みを主にドローイングとテキストで綴る。
ロシア・ビヨンド(Russia Beyond)は、ロシアに関心をもつ人々の世界最大のコミュニティです。 私たちの使命は、世界中のユーザーがロシアについてより多く知るのをお手伝いすることです。
ヴァディム・ギッペンレイテル、 イゴリ・シピリョノク撮影 クマ カムチャツカは、ロシア構成下の真の「クマ州」である。さまざまな評価によれば、ここには、1万5千~3万頭のクマが棲息しており、クマがこれほど密集しているところは、ロシアばかりか世界にもない。
放射性物質の多くは、自然界で崩壊するのに数十年、数百年、またはそれ以上の長きを要する。しかしながら、ロシア科学アカデミーa.m.プロホロフ一般物理研究所の研究グループが、わずか1時間で中性化、安全化させる方法を発見した。この新しい方法を用いて、福島の水を浄化させることも ...
ダルニツキー(またはブハンカ) Legion Media 最も若いパンから始めよう。1930年代にレニングラードで作られたダルニツキー(あるいは単に「黒パン」と呼ばれる)を焼くには、ライ麦と小麦粉を混ぜる必要がある。
ロシアの笑顔には大きな特徴があり、他の国々の笑顔の「機能」とは、事実上、正反対だ。外国人から見ると、ロシア人は重苦しく、無愛想で、笑わないという。だが重苦しいから笑顔がないというわけではない。
1980~1990年代、つまりペレストロイカからソ連崩壊直後にいたるまで、概してロシア人は、スターリンの「大粛清」(1936~1938年)の真の規模は明らかにされなかったと考え、実際よりもはるかに多くの人々が殺された、と主張する者が多数いた。20世紀後半のロシア社会を振り返り、当時の人々 ...
ピョートル大帝はサンクトペテルブルク建都後、すぐにクンストカメラの創設に取り掛かった。1714年、クンストカメラ(ドイツ語で「驚異の部屋」を意味する)はオープンし、サンクトペテルブルク初の博物館となった。それはロシア初の自然科学博物館でもあった。
世界中で有名な19世紀のロシア・クラシックから、国民になじみ深いソ連の曲や実験的なコンテンポラリーまで、ロシアの作曲家の必聴作品を、ロシア・ビヨンドが独自にランクづけし、特集する。
ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは、1920年代に、ユダヤ人たちにその「故郷」を与える考えを支持し、極東のアムール河岸に「ユダヤ自治州」が創設された。だが結局、このプロジェクトは失敗に終わる。その原因としては、自治州が極東の僻遠の地に位置していることが大きかったが、それ ...
カレリアの秋、ヤクーツクの夏、モスクワの冬、サンクトペテルブルクの春・・・季節ごとに移ろうロシアのもっとも有名なランドマーク。 オネガ湖に浮かぶ民族学的屋外博物館には、17-19世紀のロシア北部の木造建築物が ...
イズバ(ログハウス)は何世紀にもわたり、ロシアの主要な住宅の種類だった。今日、マンションに暮らすロシア人が増えているが、イズバはまだ全国各地にある。 「ロシアの村」、ワシーリー・ポレーノフ画、1889年 イズ ...