リマックは2022年、 フォルクスワーゲン ・グループとの提携により ブガッティ ・リマックを設立した。以来、研究開発子会社のリマック・テクノロジーは、他社への供給も視野にEV技術を開発してきた実績がある。
エンジニアと自動車専門誌編集者という経歴で膨大な取材量を持つ大谷達也による、『どこにも書いていない話』を執筆する不定期連載です。第2回はジャパンモビリティショーの大躍進がテーマ。その後編です。
モータースポーツの名門トムスと、モビリティサービスを手がけるキントが共同で立ち上げたのが、『モスキン(MOTORSPORT by KINTO)』。 スポーツカー をより身近に楽しむことを目的としたサービスだ。 モスキンの大きな魅力は、厳選された高品質なキント・アップ車両( 中古車 )を、トムスが長年のモータースポーツ活動で培ってきた知見に基づくチューニングとコンディション管理を行っていること。
DSやCXより小型で、2気筒エンジンのアミより高級モデルに位置付けられていたGS。テールゲートと可倒式リアシートを与えるのに好適なモデルといえたが、当初は叶わなかった。5ドアのGSAが追加されたのは、1979年になってからだ。
AUTOCAR JAPAN編集長ヒライによる、『日本版編集長コラム』です。最近乗ったクルマの話、取材を通じて思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第60回は今年で20周年を迎えたアストン マーティン・ヴァンテージの話です。
ロンドンの西、オックス フォード シャー州に拠点を構えるウィリアムズの敷地には、聖域と呼べるホールがある。ウィリアムズ・ヘリテージが有する、100台ほどの貴重なF1マシン・コレクションが展示されている場所だ。
プレミアムブランドだったランチアがテールゲートを採用することに、親会社のフィアットは難色を示していたらしい。それでも1975年、ベータ・クーペのアップデート版としてベータ HPEが投入され、大きな3枚目のドアを獲得している。
伝説のアイルトン・セナ氏が、1994年のサンマリノ・グランプリで命を落とした、マシンのレプリカもある。その近くには、デイモン・ヒル氏がドライブした1995年式FW17が飾られる。頭部の保護技術が本格的に導入されたのは、その事故がきっかけだった。
このスチュードベーカー・レッカーは1952年式であり、1990年代まで現役で稼働していたという。運転席に植物が侵入していることに注目。これは床板がどれほど腐食しているかを如実に物語っている。2Rモデルは1948年から1953年まで生産されたが、キャブはさらに6年間生産が続けられた。
1.5Lエンジンは、3気筒より滑らかに回る4気筒。その選択が正解だったことは、普段使いの洗練度に現れている。駆動用モーターは30psを発揮し、エンジンへのバトンタッチはとてもシームレス。聞こえるノイズも、僅かに高まる程度でしかない。
レポート車は2024年11月にアップデートを受けたモデル。一番大きな変更点は、バッテリー容量がそれまでの77.4kWから84kWに増大したことだ。さらにエネルギー密度の高い第4世代バッテリーセル採用で、航続距離は618kmから703km(RWDモデル ...